真面目で正義感の強い人ほど要注意
正義感が強く真面目な人ほど人間関係でストレスを抱えがちです
真面目で正義感の強い人は「普通は」や「〇〇であるべき」という言葉をよく言ってしまう傾向があります。
自分が正しいと信じていることと違うことを他人がしているとそれだけで気になったり、すぐに正論を投げかけたり…
真面目だからこそ「べき」ということから逸脱するものに対してすごくストレスを感じやすいのではないでしょうか?
例えば…
お菓子は仕事が終わってから食べるべき
休憩時間以外は仕事に集中するべき
などなど…
悪い言い方をすると…思考が固くなってしまっているような状況ですね。
実例を紹介します
先日あった例
ボクはリハビリの仕事をしているので仕事柄、日常生活に困っている人の相談を受けたりすることがよくあります。
今回の例に出す方の困りごとは
①自分で買い物に行くことができない
②長時間家事ができない(料理や掃除)
③金銭的に余裕がない
④色々と衝動的に買い物をする
おおまかにするとこの3点の困りごとがあります。
なので、金銭的な補助を受けつつ、買い物は介護サービスの方に行っていただいているような状況です。
次にこの方は
- 食生活が極度に乱れている
- タバコを1日1箱半、アイコス1箱の合計2箱半
という客観的にみた問題点があります。何が問題なのかは後々わかるのでここではこの情報を一旦記載しておきます。
現状、介護サービスの利用できる時間は1時間と限られています。
その枠の中で日常生活の困っていることをサポートしていただくといった内容です。
この方の場合の困りごとであれば
①の自分で買い物に行けない、②の長時間家事ができない
というこの2つのことに対して介護サービスの方がサポートしてくれています。
この2つを1時間以内に行う必要があるのです。
現状、この方の家から徒歩2分程の場所にAというスーパーがあります。しかし、本人さん曰く、このスーパーは高いとのことで、少し距離のある(車で10分程)Bというスーパーに買いも行ってもらっています。
遠いスーパーに買い物を頼む影響で、買い物以外家事などのお手伝いができない状況になっています。
しかし、本人さんは「何とか家事の方も手伝ってほしい」という言い分があるのです。
ちなみに、AとBのスーパーで同じ買い物をした場合の金額の差は1,000円程だそうです。
さて、この時あなたならこの方に何と言いますか?
正論は本当に正論?
ここでの正論は
「それならタバコを少し我慢して近くのスーパーで買い物してもらって家事に充てる時間を捻出したら?」というようなことになると思います。
もちろん、ボクもそう思います。
しかし、この言葉をそのまま本人さんに伝えるとどうなるか?
ちなみにボクは「ちなみにタバコの本数とかは減らせないのでしょう?」と軽く聞きました(笑)
もちろん答えは「YES」です(笑)
答えは簡単だと思います。算数です。
タバコを少し本数を減らすことができればAとBのスーパーの差額分はなくなるのですから、家事もしてもらえることになる。
しかし、そんな簡単な問題ではないのです。
人は他人から正論を突き付けられても動きません。
なぜか?
それはこちらの「正論」はあちらの「曲論」である可能性があるからです。
逆にいうとこちらが「曲論」を言っていてあちらが「正論」ということです。
いわゆる、どちらにも正義があるということですね。
もしくは、純粋に人から正論を突き付けられて「とはいえ…」思考の言い訳探しの場合です。
大切なのでは自分で考えさせること
では、どうすれば動くのか…自分で動こうと思えた時です。
ボクも以前は真面目で正義感が強かったので、このような展開になった場合は
「いやいや、それならタバコを少し控えましょうよ。やめろとまでは言いませんから」などと食って掛かっていたでしょう。
そうなれば事態は最悪です(笑)
相手も感情的になり、お互いにストレスでいい方向には進みませんから。
今回のケースでいうと①~④までの困りごとがありました。客観的に見た時に優劣はすぐに付けることができると思います。どの優先順位で、どのような内容ですることですることで困りごとを解決できるのかを…
しかし、本人さんは何もかも望んでしまっている状況。
本人さんい気付いてもらうしかないです。こちらが色々言っても、その場は納得しても後から「あの人がこうしなさいって言ったから」と言われるので関の山です。
なので、ここでは正論を突き付けるのではなく、自分で意思決定をさせるお手伝いをすることが大切です。
そうすることでお互いに無駄にストレスをため込むことなくやり過ごすことができます。
基本的に「人は変わらない」ということを理解しておくことが大切です。
人が変わる時は自分で変わろうとした時だけです。人から頭ごなしに色々言われてもその場は理解したような素振りをみせたり、反発することはあっても本質は変わりません。
良い関係性を継続する意味でも、ここで必要なのはアドバイスではなく、割り切って傾聴し、話に便乗しながら質問形式で誘導していくことです。
真面目で、正義感の強い人はつい正論をぶつけたくなってしまいます。
ここは本当に注意です。
極端な話…言い方はすごく悪いですが…
ボクのアドバイスはほとんどの人が聞くと「正論だ」と認めてくれるでしょう。しかし、この正論をこの本人さんにつきつけて、ボクの言うことを聞かないとしても、別にボクは困らないのです。
もちろん、これは仕事して怠慢だと言われるかもしれません。
ここで理解していただきたいのは仕事をしているか否かではなく、人間関係でストレスを溜めない方法です。
このような場合に人間関係を崩してしまい、ストレスをため込んでしまえばそもそも仕事もやり辛くなるので、結論仕事もできなくもなります。
総合的に判断して割り切る必要もあるということです。
大切なのは
本人さんに決めさせるということです。
くれぐれもこちらから「こうした方がいい」「ああした方がいいで」なんて全て、1個1個言ってはいけません。
まとめ
ボクは少年野球のコーチもしています。
人に何かを教えるだったり、子育てもそうです。
「こうしなさい」「ああしなさい」ということは簡単です。こういう指示を「外発的動機づけ」と言います。これは一時的な効果はありますが、持続しません。
なので、人や子どもに自発性を求めるのであれば「内発的動機づけ」を意識して、自分からやらなければいけないと思わせるような誘導をしていくことができれば良いですね。
そうすることで、人間関係のストレスも軽くなっていくのではないでしょうか。
正直、今の世の中何が当たり前で何が当たり前でないのかはよくわかりません。
今日の常識は明日の非常識になっていることもあります。新型コロナウイルスが良い例ではないでしょうか?
自分の正義を押し通してストレスをため込まずに割り切る努力を覚えることもストレス対処の第一歩かもしれませんね。
この記事を書いた人
【profile】
オットゥー
理学療法士|ロード・トレイルランナー|悩めるアラフォーサラリマン
・29歳の時にガンを患い、本気でダイエットを決意。
・34歳で本格的にランニングを始め30kgダイエット成功する。
・35歳で精神的に追い込まれ、急に涙が溢れてきたり、人と話ができなくなったり、ふさぎ込んで何をしても上手くいかない、活気が出ない症状となり、「適応障害」の診断。書籍やメンターと出会うことでメンタルが回復。少しずつ、思考の変化もこのころからみられるようになる。
このころから「自分自身の一度きりの人生を悔いのないように生きよう」と強く思うようになる。・同じ年に人生初のフルマラソンで記録 3時間 26分。初マラソンサブ 3.5達成
その後はランニングに夢中になり、その他のフルマラソンやトレイルランニングレースなどに出場。
・現在は訪問理学療法士としてリハビリが必要な方のサポートを行いながら、少年野球チームの指導者としても活動。その他、SNSで発信したり、健康推進活動を行っています。
「日々、ストレスなく自分の人生をより豊かに生きていける人が一人でも多く増えてほしい」「後悔しない人生を送ってほしい」と願っています。
ボクは「悩めるサラリーマンの味方」です。
【資格】
●理学療法士
●呼吸療法認定士
●がんのリハビリテーション研修会修了
●RYT200修了(ヨガインストラクター)
詳細なプロフィールは→こちら!!
オットゥー,理学療法士,ロードランナー,トレイルランナー,悩めるアラフォーサラリーマン | 悩めるアラフォーサラリーマンの味方 (nlabo864.com)
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